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最終更新日:2024年1月4日
伝統的建造物群保存地区を含む龍野地区内には、伝統工法による築50年を経過している建物が多く残存しています。そのうち、町家が全体の約80%を占めており、他には龍野の地場産業である醤油関連施設、高塀と門構えが特徴である屋敷型住宅、寺院、神社、洋風住宅、土蔵などに分類されます。
龍野城下町には、18世紀中頃から昭和初期にかけて、その間約250年間にわたる各年代の町家が連続的に現存しています。
敷地の間口いっぱいに建つ主屋は、切妻造、平入を基本とし、近世は、ツシ2階建(中2階)の低い建物が主でしたが、明治中期以降には軒高が4.5m以上の本2階建てのものが多くなりました。
また、町家の屋根瓦についても、桟瓦の登場は明治初期であり、それまでは本瓦が主流だったことが保存調査で分かっています。瓦の葺き替え時に本瓦から桟瓦へと取り替えられた町家も多いと考えられますが、本瓦を今なお残す町家は、おおむね前近代の建築であると推察できます。
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桟瓦葺きの屋根 |
龍野の町家は、一階の外観形式で、出格子を持つ形式のもの(Aタイプ)、成(背)の高い平物を渡して表側を開放できる形式のもの(Bタイプ)、タイルや石張りの腰壁を持つ形式のもの(Cタイプ)のおおむね3タイプに分類することが出来ます。
また、それぞれのタイプで改造が行われており、改造も含めると3系統7タイプにも分かれます。
特にBタイプでは、腰壁や格子窓の新設などの改造が高頻度に行われており、その多くは店を閉じる際、不必要となった表開口の閉鎖が意図されたものと考えられています。また、大正末期から昭和20年前半に改造が集中しています。この時期に新築された町家の多くがCタイプであり、Aタイプ、Bタイプの改造後の外観形式と類似しています。
龍野の町家は、その二階開口部の形式によって4タイプに分類されます。
これらの形式を参考にすることで、おおよその建築又は改造の年代を推察することができます。
漆喰で塗籠られた窓で、18世紀の町家に見られ、保存地区内で最も古い形式です。
高さを抑えたツシ2階に、通風や採光を目的として設けられました。龍野では、木瓜型や矩形型と呼ばれる形状の虫籠窓を設けた町家も見られます。
虫籠窓(矩形型) |
虫籠窓(木瓜型) |
龍野の二階開口部の特徴的なもので、漆喰枠の開口部に金属製の格子がはまっています。
第二次世界大戦中の金属供出等により木製格子に変わっている町家も見られますが、江戸期から昭和初期にかけての町家では、鉄製の丸棒が使用されています。通風や採光を確保しながら防犯対策のためであったと思われます。
金属格子 |
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19世紀初期の町家に見られる形で、1.の虫籠窓と並列的に用いられてます。
木製出格子 |
太格子と細格子の組み合わせのもの |
金属格子を用いた出格子は、古いものでは安政4年(1857年)の町家に見られる形式であり、この形式もほぼ同時期のものです。1.の金属格子と同様に供出等により木製格子に変わった町家も見られます。
金属製の丸格子を持つ出格子 |
洋風な見た目の出格子窓 |
雨戸を戸袋に引き込む方式は、明治初期以降の町家に見られます。また、大正から昭和にかけて、小さなガラスを割付して木枠にはめ込んだガラス窓(お多福窓)が登場しました。
戸袋付きの窓 |
お多福窓 |
隣家からの延焼や屋根伝いによる侵入を防ぐための役割があり、装飾的な意味合いも見られます。
卯建 |
卯建の幅、意匠も物件で様々 |
龍野の町家は2階軒裏が複雑な曲線(繰型)でデザインされたものが多く、階段状のものや円弧を描いた洋風のものまで、多彩なデザインを見ることができます。
階段状の軒蛇腹 |
円弧を描いた洋風の軒蛇腹 |
壁や柱に取り付けて、庇や梁などの突出部を支える横材のことです。直角三角形に似た形状のものを持送りと言い、一本棒状のものを腕木と言います。
漆喰塗り仕上げの持ち送り |
腕木 |
本来は、馬や牛を繋ぎ止めておくためのものであったと言うことですが、今日では、軒下に人や犬が立ち入ることを防ぐために設けられています。龍野では、削り跡を残す日本古来からの加工技術である名栗(なぐり)仕上げのものが見られます。
駒寄 |
名栗仕上げの駒寄 |
塀の存在感を強調し、屋敷の格式を高めるための塀です。格子窓を開けたものや、虫籠窓を付けて町家の外観のように仕立てたものなど、龍野には多彩な高塀があります。
高塀 |
窓を設けた高塀もある |
建物ごとに様々な意匠があり、多様なデザインを持つ町並みは龍野の魅力の一つです。たつの市龍野伝統的建造物群保存地区パンフレット「龍野の町並み」を参考に、お気に入りのデザインを探してみてください。