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最終更新日:2019年3月26日

龍野藩網干組(南組)伝来絵図

龍野藩は、城下を中心に南北に広がった藩領の村々を治めるために、領内を5つの組に分け大庄屋を置いて政務を行ったが、現在の姫路市網干区周辺と太子町南部を管轄した網干組(南組)大庄屋の支配地の絵図17枚が発見されました。今回発見された絵図の多くは、江戸幕府が天保9(1838)年に全国の国絵図を作成する際、参考にするため、先立って各藩の村々に命じて作らせた村の絵図で、これらが藩へ提出された以外に、大庄屋にも支配地の村々の絵図が提出され、網干組大庄屋を務めていた片岡家に伝えられていたものです。このほど、これらの絵図の修復が完了しましたので、一部を紹介します。

一般公開はしていません。

龍野藩網干組の村絵図

吉福村絵図写真

(吉福村絵図)

村絵図11枚は、すべて新発見の絵図で、今まで存在すら知られていなかった資料です。網干組の支配地である上河原村、坂上村、才村、新在家村、高田村、丁村、和久村(以上、現姫路市)、竹廣村、吉福村(以上、現太子町)など11の村々の絵図があり、天保8(1837)年3月の日付が記されています。いずれも各村によって描かれたもので、集落の配置、高札場、寺社、道、川、用水溝の位置が一目で分かるように描かれ、江戸時代の村々の様子を知ることができます。

和久村絵図写真

(和久村絵図)

上河原村絵図写真

(上河原村絵図)

揖東・揖西郡図

揖東・揖西郡図写真揖東・揖西両郡とその周辺の村々の村名を支配者ごとに色分けして表したもので、龍野藩は白色、姫路藩は青色、林田藩は黄色、赤穂藩は赤色といったように色分けしてあります。年代は記されていませんが、描かれた村々の支配状況から天和元(1681)年から元禄14(1701)年までの間と思われます。この時期の絵図は今まで知られておらず、正保や元禄の国絵図に記された村名より小さな地名も多く書き込まれており、国絵図の部分図ではなく、別系統の絵図と考えられます。

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