検索方法

文字サイズ・色の変更

  • English
  • サイトマップ
  • 携帯サイト

ホーム > くらし・市民 > 文化・スポーツ > 収蔵品のご紹介 > 多田円明流資料

たつの市立龍野歴史文化資料館

  • ご利用・交通のご案内
  • 常設展示のご案内
  • 収蔵品のご紹介
  • 資料利用のご案内
  • 催し物のご案内
  • お知らせ
  • 刊行物のご案内

ここから本文です。

最終更新日:2017年4月5日

多田円明流資料

円光寺は、摂津多田(川西市)の住人である初代当主多田祐全が、蓮如に仕え、姫路英賀の三木徳正らの求めにより蓮如により英賀へ派遣された。文明16(1479)年、一向道場を建立、一向宗の拠点として布教を行ったのが起こりとされ、のちに播磨六坊の一寺円光寺と称され、一向宗の播磨における拠点寺院の一つとなりました。その後、秀吉によって英賀を追われ、天正6(1578)年、龍野に寺を移し、本願寺の東西分裂以後は、この地方における真宗大谷派の中心寺院として今日に至っています。
円光寺6代住職多田祐仙の弟多田頼祐(半三郎)は、武芸者として武蔵と交流があり、武蔵は円光寺に滞在し、円明流を門弟たちに指南、頼祐に円明流の免許を与えたとされています。
大伯父頼祐の養子となった多田祐久は、頼祐の弟子三浦源七延貞から円明流の免許を受け、円明流武芸者として龍野藩に仕え、のち広島藩(安芸・浅野家)に召抱えられるようになった。多田家は代々、多田円明流の師範として、幕末まで広島藩に仕えていました。
多田家には、円光寺や多田円明流に関する資料が伝わっており、昨年、子孫の方より、これらの資料の寄贈、寄託を受けましたので、館蔵の資料と共に紹介いたします。

写真をクリックすると、拡大します。

一般公開は、していません。

円光寺系譜巻子

円光寺系譜巻子写真宝永7(1710)年頃

初代当主多田祐全から姫路英賀、龍野へと移った円光寺の略伝。

多田嘉須馬道久続系図伝記

多田嘉須馬道久続系図伝記写真文化2(1805)年

広島藩に円明流を伝え、代々円明流師範を務めた多田家(広島初代の祐久から嘉須馬道久まで)の系図。

多田氏系譜

多田氏系譜写真明治9(1876))年頃~昭和48(1973)年

初代当主多田祐全から北海道へ移住した寛までの多田家の系図。

円明流

円明流写真享保6(1721)年

宮本武蔵から多田源八頼恒までの円明流の継承図。龍野藩家老脇坂玄蕃、番頭脇坂覚兵衛など、龍野藩内での円明流の広がりが分かる。

円明流大系図

円明流大系図写真文化7(1810)年

宮本武蔵から多田頼祐、祐久や龍野藩士を多く含む円明流の継承図。多田源八紀久の弟子佐藤小源太が記す。

円明流兵道鏡

円明流兵道鏡写真慶長11(1606)年

武蔵の著した剣術の奥義この兵道鏡が、兵法三十五箇条、五輪書のもとになったといわれている。

円明流秘術巻

円明流秘術巻武蔵の著した剣術の奥義。

二天一流之書

二天一流之書写真寛永18(1841)年

二天一流円明之巻

二天一流円明之巻写真五輪書と同じ内容が記されている。1巻:地、2巻:水、3巻:火、4巻:風、5巻:空の5巻から成る。

宮本流免許状

宮本流免許状写真1宮本流免許状写真2延宝9(1681)年

三浦源七延貞から多田平之丞(祐久)に宛てた宮本流二刀免許状。

円明流免許状之巻

円明流免許状之巻写真1円明流免許状之巻写真2寛政4(1792)年

脇坂弥右衛門から小西啓廸に宛てた円明流の免許状。のち嘉永2(1849)年に、脇坂左五治から角波又助宛ての免許状として貼り紙により訂正し、再度使用している。

円明流奥義

円明流奥義写真寛政4(1792)年

武蔵の著した剣術の奥義。脇坂弥右衛門から小西啓廸宛。「十七箇条」「兵道鏡」と同一の内容を含む。

円明流兵法序目録

円明流兵法序目録写真寛政4(1792)年

脇坂弥右衛門から小西啓廸宛。免許状、奥義と同様、嘉永2(1849)年、脇坂左五治から角波又助宛てとして貼り紙により訂正し、再度使用している。

お問い合わせ

所属課室:教育事業部歴史文化財課 龍野歴史文化資料館 

住所:兵庫県たつの市龍野町上霞城128-3

電話番号:0791-63-0907

FAX番号:0791-63-0998

E-mail:rekishi@city.tatsuno.lg.jp