正條の渡し跡(しょうじょうのわたしあと  揖保川町正條)

近世の山陽道はたつの市揖保町から揖保川を渡り,揖保川町原を通って 相生市那波野に抜ける道で,現在も町道としてつかわれています。この山陽道で揖保川を渡る時には渡し船が使われていました。「地水(ふだんの水の量)二文、中水八文、備水(大水のとき)十六文」という渡し賃を記した川札があったといいます。ここでは数隻の高瀬舟が待機していたそうですが、大名行列にもなると舟が足りず、対岸の揖保村や真砂村から借りたといわれています。室津道と山陽道とが交わるこの地は,交通の要所となり,かなりのにぎわいであったと想像できます。