地いきの発てんの様子

水害から村を守れ

●記念碑(金剛山)●
四町四方の堤防と岸野四郎左衛門
岸野四郎左衛門は、今から300年ほど昔、江戸時代の人です。一度水害にあうと、十年以上もお米や作物がとれなかった当時、なんとかしなければならないと思った四郎左衛門は、金剛山村の田んぼに、四町四方にわたり堤防をつくろうとしました。そこには、せめて稲の種もみだけでも守りたいという願いがあったのです。この工事は、四郎左衛門が先頭に立ち、村全体が力をあわせて完成しました。



●記念碑(金剛山)●
亀の甲堤防と岩村善六
岩村善六は、明治時代の河内村二代目村長です。村長になった次の年、豪雨により揖保川は大洪水となり、河内の村々は十日間もどろ水の海となりました。善六は水害の復旧に全力を注ぎ、水害を防ぐための努力をしました。逆流しやすい前川を改修し、樋門を築き直し、その下流に亀の甲堤防を築いたのです。



●記念碑(馬場)●
河内隧道と岸野菊太郎 
隧道(トンネル)は、昔から水害に悩まされた河内の人々の長年の悲願であり、「河内にたまった水を瀬戸内海へぬきたい」という思いが、1958年(昭和33年)隧道の完成となって実ったのです。
1944年(昭和19年)、岸野菊太郎の願いにより工事が開始されたが、戦争や災害も加わってトンネルの貫通に3年、全工事の完成には10年以上の歳月がかかりました。この隧道は、河内の人々に大きな喜びをもってむかえられました。



●工事の様子●

● トンネル入口●

●トンネル出口●
瀬戸川トンネル
河内隧道は水量が少なく古くなったため、1990年(平成2年)には、太く大きな瀬戸川トンネルができあがりました。


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