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最終更新日:2019年3月3日
この資料は、赤穂藩主浅野家の江戸上屋敷(鉄炮洲上屋敷)の絵図で、2007年、相生市内の浅野家の分家である若狭野浅野家の子孫宅で数千点の資料と共に見つかったものです。
刃傷事件で浅野家は断絶となって資料が散逸しており、江戸上屋敷の絵図が発見されたのはこれが初めてです。
屋敷は、現在の東京都中央区明石町に位置し、面積は8,974坪8合(29,600平方メートル余り)とされ、赤穂城とほぼ同じ建物配置が見られます。
絵図は、元禄時代のものと推定され、元禄14(1701)年に取りつぶしとなる直前に描かれたとみられ、下地の和紙に、部屋の形に切り抜いた和紙を建物の配置に合わせて張り合わせています。邸内には、多くの部屋が描かれ、執務室のある「大書院」、奥方が暮らす「座敷」等の書き込みも見られ、長屋には、四十六士の一人、間瀬孫九郎ら家臣の名前も記述されています。
堀部安兵衛の書状で、「浅野内匠頭切腹の夜、藩邸に堀から町人が押し入り、家財を奪おうとした」などの記述があり、これまで船着場から侵入したと考えられていましたが、実際には水門しかなかったことが絵図から伺えます。
一般公開はしていません。
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