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最終更新日:2017年6月15日

兵庫の玩具

伏偶舎郷土玩具資料館(大阪府島本町)奥村寛純館長が永年収集されていた全国の郷土玩具の内、兵庫県内の玩具360点余りを、里帰りとして当館に寄贈していただきました。県内の土人形のように、今は廃絶して見ることが出来ないものや、姫路張子の型は現在も製作されている家とは別の廃業された製作型で、当時の様子を伝え、現在では貴重な文化財と言えます。

一般公開はしていません。

稲畑土人形(稲畑:丹波市)

稲畑土人形蚕神、政岡、木口小平
昭和初期、大正、大正

今から約150年前から、昭和10年過ぎまで作られていた。良質の土を遣っているため、土人形とは思えぬほど薄く軽い。明治末期以降のものには、紫色の絵の具をふんだんに使用されている。

葛畑土人形(葛畑:養父市)

葛畑土人形(左から)俵のり三番叟、俵のり大黒、虎加藤
(左から)大正、大正、昭和40年代

江戸末期ころから作り始められる。土質の関係か、薄くできず重い。人形の底がないことが特徴。さらに、戦前のものは、黒と赤と群青などを使い、単純な彩色。最後の作者前田俊夫の人形は、表情も現代的で、彩色も細やかである。

播州地方のみこし(姫路)

播州地方のみこし写真

左:昭和44(1969)年
右:昭和52(1977)年

みこしが生まれたのは江戸時代後期で、みこしのおもちゃは、古くから祭りの日に神社の境内などで売られていた。

姫路ごま(姫路)

姫路ごま写真

昭和

明治始め頃に作られたと言われ、文七独楽、ぶち独楽、紋入り独楽、源水独楽、鬼独楽、糸引き独楽など十数種などが作られていたが、現在では、芯に鉄を使った独楽に赤と緑を彩色した飾り独楽として作られている。

面(姫路)

面犬写真面雉写真犬、雉
犬:昭和63(1988)年、雉:昭和40年代

姫路で張子が作られるようになったのは、明治初期。姫路で張子の面が盛んだったのは、材料の反故和紙が豊富にあったことや、薄張りだがしっかりしており、製品として優れているからである。個性的で素朴な味わいのある彩色である。
写真は、現在も作っている松尾隆の作品。

面型(姫路)

面型写真閻魔大王、天狗、おかめ
明治時代(閻魔大王)

2家あった姫路張子の松尾の内、廃絶した松尾家の形。姫路張子は、木型ではなく、土の瓦型を使用する。木製だと彫るのに手間がかかり、長年使用していると変形し型が崩れたりするが、瓦だと原型があれば、何枚でも型が作ることができるし、傷みも少ない。しかし、小型のものは土製で焼成されていない。

明石焼柿本人麻呂像

明石焼写真万葉の代表的歌人・柿本人麻呂をまつっている柿本神社の参道などで売られていた。いったん作られなくなったが、再び昭和32年頃製作され、神社から授与されるようになったが、台風によって窯が壊れたため、廃絶した。
戦前に作られたものは、低温で焼かれ暗褐色に塗られたもののほかに数種あり、昭和32年に作られたのは焼締めのあと、うわ薬のかかった二種で、底面には明石焼の刻印がある。

北条の大羽子板(北条:加西市)

大羽子板写真昭和59(1984)年

今は作られていないが、播州地方では、正月に女子には厄除けと招福を願って幅広の大羽子板を贈る風習があった。薄い板に金襴で作った尉と姥の押し絵を中央に張り付け、まわりに松、竹、梅をつけ、天地に紙を切り抜いた鶴と亀を配している。

有馬人形筆(有馬:神戸市)

人形筆写真昭和

人形筆は、筆軸を7色の絹糸で市松や井げた模様に美しくかがられており、筆軸の中には豆人形が仕込んであって、字を書こうと筆を起こすと、筆軸から小さな人形が現れ、筆を寝さすと姿をかくす。

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