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最終更新日:2012年12月8日

貂の皮(てんのかわ)

貂の皮は、脇坂家の馬印(大名が自身の位置を示すための表示具)として、行列には常に使用されていた。
貂の皮の来歴が記された『貂の革由来』によると、明智光秀の丹波攻めも、波多野家は滅ぼしたものの、赤井悪右衛門景遠(正しくは直正)の黒井城が攻めきれず、羽柴秀吉から加勢500の兵の大将として脇坂安治を遣わされる。守りが堅く、力攻めはせず、安治が開城の使者として出向き、降伏を勧めるが拒否。しかし、安治の武勇に景遠(直正)は賞賛し、赤井家伝来の家宝である「雌雄の貂の革」のうち、雌の革と甥の家忠(正しくは忠家)を託し、再び戦場で見える。ついに安治に討たれ、雄の革も安治のものとなり、槍の鞘となって、脇坂家の子孫繁栄の基となったとある。
しかし、当時の安治の身分と活躍する内容が合わず、脇坂家の馬印としての価値を高めるため、後世に創作された話であるとも考えられる。
10代安董が23才で寺社奉行になり、大奥と僧侶の乱れた関係を正し(延命院事件)、僧侶らから恐れられた。退任後、16年を経て再任された時、「またでたか 坊主びっくり 貂の皮」という落首が評判になるほど、「貂の皮」は、脇坂の代名詞であった。
司馬遼太郎の短編小説『貂の皮』は、この『貂の革由来』と『脇坂家譜』を引き写したと思われる部分が多く見られる。
※貂:イタチ科の一種。猫くらいの大きさでイタチに似た動物。
一般公開はしておりません。

 

貂の皮

貂の皮由来記

貂の皮(龍野神社奉賛会蔵)

貂の革由来

 

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