開こんの様子

更新日:2025年03月31日

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赤い帽子を被り赤い服を着た女の子のイラストと「石碑を手がかりにして開こんの様子を調べましょう」の文字
縦書きで大きく「開墾記念碑」と書かれた石碑の写真

記念碑(きねんひ)(袋尻)

松島新太郎(まつしましんたろう)らによって、1929~1932年(昭和4~7年)に袋尻の山すそが開こんされました。
これによって、山すその荒れ地が畑に姿(すがた)をかえました。

毎朝(まいあさ)、朝から晩まで開こんしましたが、土がかたく大変(たいへん)な作業でした。木を切りたおし、根っこをほり起こして畑にかえました。大きな木はくさるのを待ってからほり起こしました。大きな石を運ぶのは若い人の仕事で、木も1日に、1株(かぶ)か2株しかほり起こせませんでした。

(おじいさんの話)

草が生え枝が伸び放題の木の前に立つ記念碑の写真

記念碑(浦部)

遠くに山が見える自然豊かな場所で葡萄を生産しているビニールに覆われたぶどう畑の写真

ぶどう畑(浦部)

育った実に白い袋が被せられたぶどうの木をアップで撮影した写真

ぶどう畑(浦部)

西垣梅太郎(にしがきうめたろう)らによって、1930~1934年(昭和5~9年)に浦部の山すそが開こんされました。

これによって、山すそが菜園(さいえん)やぶどう畑になりました。

木の枝や草が鬱蒼と茂った場所に立つ2つの石碑の写真

高瀬栄三郎(たかええいざぶろう)らによって、1907~1909年(明治40~42年)に町屋(まちや)の耕地整理(こうちせいり)が行われました。
これによって、湿田(しつでん)が乾田(かんでん)に、畑が水田にかわりました。

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