開こんの様子
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記念碑(きねんひ)(袋尻)
松島新太郎(まつしましんたろう)らによって、1929~1932年(昭和4~7年)に袋尻の山すそが開こんされました。
これによって、山すその荒れ地が畑に姿(すがた)をかえました。
毎朝(まいあさ)、朝から晩まで開こんしましたが、土がかたく大変(たいへん)な作業でした。木を切りたおし、根っこをほり起こして畑にかえました。大きな木はくさるのを待ってからほり起こしました。大きな石を運ぶのは若い人の仕事で、木も1日に、1株(かぶ)か2株しかほり起こせませんでした。
(おじいさんの話)

記念碑(浦部)

ぶどう畑(浦部)

ぶどう畑(浦部)
西垣梅太郎(にしがきうめたろう)らによって、1930~1934年(昭和5~9年)に浦部の山すそが開こんされました。
これによって、山すそが菜園(さいえん)やぶどう畑になりました。

高瀬栄三郎(たかええいざぶろう)らによって、1907~1909年(明治40~42年)に町屋(まちや)の耕地整理(こうちせいり)が行われました。
これによって、湿田(しつでん)が乾田(かんでん)に、畑が水田にかわりました。
更新日:2025年03月31日