地いきの発てんの様子 水害から村を守れ

更新日:2025年03月31日

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中央に縦書きで「岸野四郎左衛門君頌徳碑」と書かれた長方形の石碑のモノクロ写真

記念碑(金剛山)

四町四方の堤防と岸野四郎左衛門
岸野四郎左衛門は、今から300年ほど昔、江戸時代の人です。一度水害にあうと、十年以上もお米や作物がとれなかった当時、なんとかしなければならないと思った四郎左衛門は、金剛山村の田んぼに、四町四方にわたり堤防をつくろうとしました。そこには、せめて稲の種もみだけでも守りたいという願いがあったのです。この工事は、四郎左衛門が先頭に立ち、村全体が力をあわせて完成しました。

中央に縦書きで「岩村善六君頌徳碑」と書かれた長方形の石碑のモノクロ写真

記念碑(金剛山)

亀の甲堤防と岩村善六
岩村善六は、明治時代の河内村二代目村長です。村長になった次の年、豪雨により揖保川は大洪水となり、河内の村々は十日間もどろ水の海となりました。善六は水害の復旧に全力を注ぎ、水害を防ぐための努力をしました。逆流しやすい前川を改修し、樋門を築き直し、その下流に亀の甲堤防を築いたのです。

山並みや田畑の広がる場所に設置された河内隧道竣工記念碑をアップで撮影した写真

記念碑(馬場)

土嚢が積まれた河内隧道入口のモノクロ写真

河内隧道と岸野菊太郎
隧道(トンネル)は、昔から水害に悩まされた河内の人々の長年の悲願であり、「河内にたまった水を瀬戸内海へぬきたい」という思いが、1958年(昭和33年)隧道の完成となって実ったのです。
1944年(昭和19年)、岸野菊太郎の願いにより工事が開始されたが、戦争や災害も加わってトンネルの貫通に3年、全工事の完成には10年以上の歳月がかかりました。この隧道は、河内の人々に大きな喜びをもってむかえられました。

水路の左上に休憩小屋があり、トンネル入り口の上にビニールシートが敷かれた瀬戸川トンネルの工事の様子の写真

工事の様子

トンネルが完成し水路に水が流れている瀬戸川トンネル入口の写真

トンネル入口

水路に泥水が溜まっているトンネルが完成した瀬戸川トンネル出口の写真

トンネル出口

瀬戸川トンネル
河内隧道は水量が少なく古くなったため、1990年(平成2年)には、太く大きな瀬戸川トンネルができあがりました。

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