保川とわたしたちのくらし(揖保川今昔)

更新日:2025年03月31日

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わたしたちの生活と大きく関わりのある”揖保川”。今と昔ではどのようなちがいがあるのでしょうか。

たつの市揖保川町新在家付近(揖保川の堤防)

一本の大きな木が右斜めに傾いている揖保川の堤防を、自転車に乗って向かってきているモノクロ写真

厚い雲がたちこめた空の下、左側に大きな白い煙突の様なものが立っている手前に、通路が真っすぐに整備された現在の揖保川の堤防の写真

上の写真は、たつの市立半田小学校付近の写真です。揖保川町から北の方に向かってうつされています。
揖保川の堤防はほとんど高さがなく、たびたび洪水に見舞われたそうです。

たつの市揖保川町新在家付近(辻内神社)

通りの右側に木々に囲まれた茅葺屋根の家が建ち、左側に鳥居が立っているモノクロ写真

周囲に木々が生えた境内に拝殿や社殿の建物や、朱色の鳥居が設置された辻内神社の敷地を灰色の塀でぐるっと取り囲んでいる写真

たつの市揖保川町新在家付近(揖保川・夜比良の渡し)

山並みの手前に木々が立ち、大きな揖保川を人を乗せて船で渡っているモノクロ写真

昔(明治元年)

山並みの手前の揖保川に橋が架かり、周囲に建物や芝生広場の公園が設置されている写真

昔は川にほとんど橋がかかっていませんでした。「夜比良」の名前は、龍野市揖保町にある夜比良神社から名前が付けられています。 揖保川をわたる時には船を使って渡っていました。また、たつのの産業であるしょうゆやそうめんを運ぶ高瀬舟が川を行き来していました。今はみんなが楽しめる公園に整備されています。

たつの市龍野町龍野橋付近

右側に一本の木が立つ木組みの樟津橋の上を人が渡っているモノクロ写真

昔 (明治42年頃)

樟津橋(現在の龍野大橋)です。昔の橋は今より幅が細く、木を組んで作られていました。

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