保川とわたしたちのくらし(揖保川今昔)
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わたしたちの生活と大きく関わりのある”揖保川”。今と昔ではどのようなちがいがあるのでしょうか。
たつの市揖保川町新在家付近(揖保川の堤防)

昔
今
上の写真は、たつの市立半田小学校付近の写真です。揖保川町から北の方に向かってうつされています。
揖保川の堤防はほとんど高さがなく、たびたび洪水に見舞われたそうです。
たつの市揖保川町新在家付近(辻内神社)

昔
今
たつの市揖保川町新在家付近(揖保川・夜比良の渡し)

昔(明治元年)
今
昔は川にほとんど橋がかかっていませんでした。「夜比良」の名前は、龍野市揖保町にある夜比良神社から名前が付けられています。 揖保川をわたる時には船を使って渡っていました。また、たつのの産業であるしょうゆやそうめんを運ぶ高瀬舟が川を行き来していました。今はみんなが楽しめる公園に整備されています。
たつの市龍野町龍野橋付近

昔 (明治42年頃)
樟津橋(現在の龍野大橋)です。昔の橋は今より幅が細く、木を組んで作られていました。
更新日:2025年03月31日