龍野地区の旧町名表示板を作成しました

更新日:2025年03月31日

ページID : 2518

龍野地区内の散策をより楽しんでいただくため、地区内の旧町名を紹介する表示板を龍野町並み保存会が作製しました。

路地ごとの旧町名の由来や、当時のエピソード等を知ることで新しい視点で町並みを楽しむことが出来ますので、散策の際はぜひご覧ください。

茶色の柵の一つに旧町名立町と書かれ立町の説明などが書かれた表示板をメインに写した写真
茶色の柵に表示板が設置された柵全体を写した写真

旧町名表示板分布マップ

龍野城下町旧町名表示板設置位置図

各町名の説明文

各町名の詳細
番号 旧町名 説明文
1

直線の道路に白を基調とした二階建ての和風の家が両側の道路に並び、右側の端の家にはのれんがかかっている門の外地区の写真

門の外

多くの染物屋が店を構え、馬繋ぎ場があったまち。かつて上川原町との境に門があり、その外側の地区であることが名前の由来と言われています。

門の外の説明音声(音声ファイル:63KB)

2

2階建ての瓦屋根の和風の家で外壁は木材を施した3件の家の上川原町の写真

上川原町

様々な店が軒を連ねていたまち。通りから見える醤油醸造所の煙突はランドマークです。昭和初期には日用品店、旅館、呉服屋などが建ち並んでいました。

上川原町の説明音声(音声ファイル:69.2KB)

3

道路の両側に3階建ての窓の多い和風の家が並び、玄関の入口が道路側に向いた家が建つ九艘ノ町の写真

横丁

通学路と歓楽街の二つの顔を持つまち。朝は学生の通学路として、夜は日用品店、銭湯、料理屋など庶民的な歓楽街としてにぎわっていました。

横丁の説明音声(音声ファイル:66KB)

4

道路の左側には水神町と書かれた石碑があり、右側には白を基調とした2階建ての家が建つ九艘ノ町の写真

九艘ノ町

年貢米などを運ぶ九艘の高瀬舟の発着場所だったまち。「九艘(きゅうそう)のまち」がいつしか縮んで「くそのちょう」と呼ばれるようになったことが名前の由来と言われています。

九艘ノ町の説明音声(音声ファイル:65.9KB)

5

道路の両側に2階建ての和風の正面にショーケースなどがある商家風の家が続く下川原町の写真

下川原町

多くの人が訪れるにぎわいの中心だったまち。江戸初期は酒造業、江戸中期以降は醤油醸造業、明治以降は日用品の商店街へと姿を変えました。

下川原町の説明音声(音声ファイル:64.5KB)

6

狭い通路の両側に下は黒の板張り上は白の外壁が続き、左側の外壁に黒で丸の中に東と書かれた看板が付けられた家が建つ小河町の写真

小河町

小川(浦川)沿いにあったまち。江戸時代以降に「小川町」に表記が変わったようです。昭和初期には菓子店、日用品店などが建ち並んでいました。

小河町の説明音声(音声ファイル:75.4KB)

7

狭い路地の右側に白を基調とした2階建ての和風の古い町並みが続き、手前の家は窓から黒色の木の格子が設置された豆板ノ小路の写真

豆板ノ小路

桶屋町と湯屋ノ小路の間のまち。名前の由来は不明ですが、一説によると「豆狸(まめだぬき)ノ小路」がいつしか変化したと言われています。

豆板ノ小路の説明音声(音声ファイル:90.4KB)

8

狭い路地に右側は木造の外壁の古民家、左側は白を基調とした家が建つ湯屋ノ小路の写真

湯屋ノ小路

揖保川に向かう通りで、藩の年貢米を貯蔵する蔵があったまち。かつて湯屋(公衆浴場)があったことが名前の由来と言われています。

湯屋ノ小路の説明音声(音声ファイル:53.9KB)

9

左側に塀に瓦を乗せてある塀瓦と門に瓦を載せた数寄屋門、右側には下が木材、上が白壁の2色の塀で塀瓦が続く紺屋町の写真

紺屋町

紺屋(染物を生業としていた者)が集まっていたと言われているまち。今は暗渠になった水路で、染め上げた布を洗っていたという話が残っています。

紺屋町の説明音声(音声ファイル:58.5KB)

10

道路の両側に下側は木材が使われて上は白壁の和風造りの家が建ち並ぶ横町の写真

横町

城下町の経済の中心だったまち。かつては、金融機関や醤油組合の事務所などが集まっていました。現在は、醸造関係の登録有形文化財があり、醸造町の風情が残っています。

横町の説明音声(音声ファイル:78.3KB)
11

右側には瓦屋根の和風の古民家に玄関には簾が立てかけてあり、左側に2階建ての下がガレージになっているコンクリート建ての家などが並ぶ大手の住宅街の写真

大手

龍野城の大手門近くのまち。江戸時代に描かれた龍野惣絵図によると、龍野城の大手門、御番所、お堀があったことが分かっています。

大手の説明音声(音声ファイル:54.2KB)

12

おみやと書かれた看板の後ろに木造作りの歴史を感じる和風造りの2階建ての家などが並ぶ魚町の住宅街の写真

魚町

料理屋、お茶屋、芸子置屋などが集まっていたまち。昭和初期には、複数の芸子置屋が連なっており、龍野の花柳界としてにぎわっていました。

魚町の説明音声(音声ファイル:60.8KB)

13

立派な三角形の屋根の細長い古民家で、玄関の上にも瓦屋根が続き2段屋根のような歴史を感じる和風の家が建ち並ぶ立町の写真

立町

江戸時代には両替業を営む商家や町会所(集会所)があったまち。明治以降は旧龍野市の役場や銀行があり、行政の中心でした。

立町の説明音声(音声ファイル:54.9KB)

14

細い路地の左側には塀が2色で下の方が木材で作られており、上の方はベージュの塀に瓦屋根が付いた塀瓦が続く塀が建ち並ぶ瓢箪町の写真

瓢箪町

横町と桶屋町の間にあったまち。名前の由来は不明ですが、日本各地にある瓢箪町と同じように、瓢箪職人や酒造業者が集まっていたのかもしれません。

瓢箪町の説明音声(音声ファイル:66.1KB)

15

直線の狭い道路の左側には塀に瓦が載っている塀瓦の塀と、門に三角屋根に立派な瓦で造られている数寄屋門が設置された桶屋町の写真

桶屋町

酒や醤油の樽を製造する桶屋が住んでいたと言われているまち。龍野城下町では、現在まで続く醸造業などの産業が発展しました。

桶屋町の説明音声(音声ファイル:58.5KB)

16

右側に白壁を基調とした塀に瓦が載った塀瓦の塀と、左側には下が木材で上が白壁を基調とした塀瓦の塀が建ち並ぶ御堂ノ後の写真

御堂ノ後

寺院裏通りの風情を醸し出しているまち。現在も道の東西に寺院の白壁が延びており、町家と合わさって落ち着いた町並み景観を生み出しています。

御堂ノ後の説明音声(音声ファイル:61.4KB)

17

住宅街の薄暗くなってきた狭い路地の左側にタイル張りの家に煙突がある家が建ち並ぶ常照寺垣内の写真

常照寺垣内

常照寺の垣内(所有地)付近のまち。江戸時代は路地の両脇に民家や土蔵が建ち並び、本堂に続く石段が見えていました。

常照寺垣内の説明音声(音声ファイル:52.4KB)

18

2階建ての瓦屋根の木造和風造りで、1階では青い屋根の下でお店を開けている家が建ち並ぶ今宿の町の写真

今宿

日用品店、医院、郵便局などが建ち並んでいたまち。下町の枝町の一つで、昭和10年代から40年代前半までは、バスが走っていた幹線道路でした。

今宿の説明音声(音声ファイル:68.8KB)

19

道路の左側には三角屋根に瓦造りの窓には木の格子が設置された歴史を感じる家の外観の写真

下町

戦前は多くの買い物客でにぎわっていたまち。醤油屋などが建ち並んでいた面影が今も残っています。昔も今も学生が通学路として利用しています。

下町の説明音声(音声ファイル:65.5KB)

20

左側は白い塀に瓦を載せた塀瓦の塀と、右側は門に瓦を載せた数寄屋門の入口が開いて中の石像が見えている下タ町の写真

下タ町

町家と寺院が建ち並ぶまち。下川原町の枝町の一つで、昭和時代には、個人商店や銭湯などがあり、下町風情が漂っていました。

下タ町の説明音声(音声ファイル:59KB)

21

道路の右側は2階建てのレンガ風の洋風の家、左側には瓦屋根が付いた塀があり引き戸の入口の上にも瓦屋根がある塀が立つ川原町の町並みの写真

川原町

町家と儒学者の居宅などが点在していたまち。昭和初期には、郵便と電話を扱う郵便局や呉服屋などが建ち並び、活気がありました。

川原町の説明音声(音声ファイル:58.5KB)

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